Gaining-through-Losing Diary

浮気をされた過去、離婚をしてしまった過去、全てを失った過去、自信を喪失した過去、そして、自分の人生を奪われてしまった過去…。他人の子どもを育てる傍ら、自分の子どもと年に数回会っている男が、日々の思いを綴ります。

見た目がヤンチャなお父さんの口から出る、数々の◯◯的な言葉に温もりを感じた件。

こんばんは。

“Gaining through Losing Diary”へようこそ。

 

昨日、とあるホテルに一泊。

今朝は1階のレストランにて朝食をとる。バイキング形式。

4種類のジャガイモの食べ比べや北海道名物ジンギスカンなど趣向を凝らし、

味もまずまず。

 

そんな中で目に付いたのが一組のご家族。

お母さんと、6歳と3歳くらいかと思われる娘さんが2人、

そして、短めの金髪、色眼鏡、いかにもなヤンチャな感じのお父さん。推定28歳。

偶然エレベーターで一緒になり、

ご飯を取りに行く時も同じタイミングで立ち歩くことになり、

席もお隣。

どんな言葉使いなのか、

どんな言葉を発するのかとついつい耳をそばだててしまい…。

やはり見た目通り。

厳つさがある。

だけどトゲがない。

不思議と嫌じゃない。

むしろどこか、居心地の良ささえ感じる。

なぜ?

考えてすぐに答えが出た。

発せられる言葉の全てが『肯定的』なのだ。

「唐揚げ食べたか?うまいぞ」

「もっと食べちまおう、けっこうイケる(おそらく味が)」

「取りに行くのか。おっ?お皿が空だな、どんどん食べなさい」

いただきますもごちそうさまも、家族で合唱。

奥さんが美味しそうに食べている料理も「美味しそうだな」と一言。

娘さん達との会話も思う存分楽しんでいるご様子。

 

ここのところ、

どうやらわたしが「そういう人」と付き合う機会が多かったせいなのかもしれない。

「オメェ、それはそういうことじゃねえべ」

「んなこともわからねえのか」

「探せなかった?どこに目ん玉つけてんだよ」

そういう言葉が、親から子へと発信されていた。

 

親とは、子を『見て』『認知する』ものだとわたしは思う。

だから、褒めるも叱るも、そんなものは二の次で、

まずはしっかりと見て聞いて認めてあげること大切なのだと。

このお父さんは、それをしていた。

ふと横目でお父さんを見てみると、

食べながら視線は子どもの食べる姿を捉えていた。

きっとあの色眼鏡の下には、温もり溢れる、愛情こもった眼差しがあったに違いない。

 

今は遠くで暮らしている我が子は、

今でもわたしと会うことを楽しみにしてくれている。

春から小学三年生の娘は、

『ママがダメって言っても、絶対これからもずっとパパと会う!』

と声高に宣言したんだとか。

離婚をした手前、

父親としてのわたしが周りの人の目にどう映っているかはわからないが。

その正しい答えが娘のその言葉であると願うばかりである。

 

赤ん坊は胸でしっかりと抱きしめる。

成長して胸を離れたら、手を離さずにいる。

成長して手を離れたら、目を離さずにいる。

成長して目を離れたら、心を離さずにいる。

 

いつこの言葉に出会ったかは忘れてしまったが、

今もこの言葉は胸に刻んである。

こうして子ども達に、愛していることを伝えてきたという自負が、わたしにはある。