Gaining-through-Losing Diary

浮気をされた過去、離婚をしてしまった過去、全てを失った過去、自信を喪失した過去、そして、自分の人生を奪われてしまった過去…。他人の子どもを育てる傍ら、自分の子どもと年に数回会っている男が、日々の思いを綴ります。

亡くなった内田裕也さんと樹木希林さんご夫妻について抱かざるを得ない不思議。

おはようございます。

“Gaining through Losing”です。

 

さて、今日の記事はタイトル通りですが・・・。

 

わたしは基本的には他人のことには無関心です。

ですが、

自分の人生を他人にコントロールされたことがある人間として、

どうしてもこの夫婦のことを考えざるを得ません。

「なぜ樹木希林さんは、内田裕也さんが離婚したいと言った時に自由にしてあげなかったのか」

という疑念に至ってしまうのです。

 

内田さんが勝手に離婚届を出した、というのは確かに問題かもしれません。

ですが、

それを裁判を起こしてまで止めた、

その後も別居生活でありながら婚姻関係にあり続けた、

というのは、いかがなものなのでしょうか…。

 

内田さんの往年の発言の中には、

樹木さんのことを本当に愛していらしたんだなぁと感じるものがいくつかあります。

しかしそれは本当に、自然に芽生えた『愛』だったのでしょうか。

離そうとしても離れてくれない『愛』。

そこに、相手の人生への執着を感じてしまうわたしには、

二人の姿があまりにも歪で、

ある意味では内田さんの不憫さを感じてしまうのです

 

内田さんと離婚しなかった樹木さん。

調べていくと、

実は樹木さんの方が内田さんよりもロックだったのではと勘ぐってしまいます。

樹木さんにとっては二度目の結婚。

自分が結婚生活に向いていないことを、

内田さんを夫としたことで、

「こんな人とじゃうまくいくものもうまくいかないよね」

「だけどわたしは、こんな男の妻でいたいのよ」

と、良妻賢母ぶりをアピールしたかったのでは…

と思ってしまいます。

 

何かを背負うのは自分の勝手です。

背負った責任というのは、突き詰めれば自分の生きがいにさえなります。

しかし、

何か(誰か)に背負われるというのは、

決して気持ちのいいものではありません。

その気持ち悪さが、

その後の内田さんの『ロック』と形容される破天荒な人生を助長したとすれば。

樹木さんの執着心は、決して感心されるべきではないとわたしは考えます。

 

「夫婦って色んなかたちがあるよね」

という意見には賛同しますが、

「この二人、本当に理想の夫婦だよね」

という意見には、首を傾げてしまいます。

 

最後になりますが、

亡くなった方のことを取り上げて勝手な妄想も含めて記述しましたことは、

お詫び申し上げます。

 

ご冥福をお祈りします。